Harvard University留学記(野間玄督)
ゲノム障害病理研究分野 再生医科学部門・教授
広島大学病院 未来医療センター
野間玄督(H7卒)
はじめに
私は2004年より2008年まで米国マサチューセッツ州ボストンのハーバード大学医学部ブリガムアンドウィメンズ病院に基礎及び臨床研究のために留学し、James K. Liao先生に師事してまいりました。
拙文にて大変申し訳ないのではございますが、ボストンの地における研究そして留学生活についてご紹介させて頂きたいと思います。
マサチューセッツ州ボストン市・ケンブリッジ市
ボストンはニューイングランド最大の都市であり、歴史ある街として全米でも人気都市の一つであります。
17世紀にメイフラワー号が到着したところがボストンから車で1時間ほど南下したプリマスという町であることから、しばしばボストンはアメリカ発祥の地とも言われております。
ボストン市内や、東西に走るチャールズ川を挟んで北側に位置するケンブリッジ市近辺には、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、ボストン大学、タフツ大学をはじめとした多くの大学や研究機関がありますために若者の多い学問の街ではありますが、同時にまた全米最大のタングルウッド音楽祭、ボストン交響楽団、ボストンポップス、バークリー音楽大学などに代表されるような音楽や、全米3大美術館の一つであるボストン美術館やノーマンロックウェル美術館、エリックカール美術館など芸術の街としても知られており、楽しいイベントも数多く開催されております。
ボストン市にはチャイナタウン、イタリアンタウン、コリアンタウンなども擁しており、ニューイングランド独特の歴史を感じさせる外観のみならず、機能的にもとても充実しております。
また循環器内科医である私にとっては自宅からすぐ近くの街(ボストンマラソンの出発点付近のフラミンガム市)にて、あのフラミンガムスタディが今尚続いているということは非常に感慨深く思われてなりませんでした。
更にこの街には嬉しいことにアメリカ4大スポーツが全て揃っているため、家族や友人達と一緒にスポーツ観戦に繰り出して一喜一憂しておりました。
特に2004年はMLBボストンレッドソックスが86年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たしたため、留学早々にボストンの街をあげての熱狂を家族で体験することとなりました。
また松坂選手と岡島選手を擁したレッドソックスが2007年にもワールドシリーズ優勝、NFLペイトリオッツによるスーパーボウル2連覇やNBAセルティックスが22年ぶりのファイナル優勝を果たすなど200万人を超える人々が押し寄せる大パレードも留学中に数多くあり、それらに家族や友人達と繰り出したことはとても楽しい想い出として残っています。
ハーバード大学医学部(HMS)、ブリガムアンドウィメンズ病院(BWH)
留学に際しましては幸いにも日本心臓財団より第17回海外留学助成グラントを頂くことができ、且つその10名中で私を含みました3名が同じくBWHに留学したため、仕事のみならずプライベートをも共有して助け合うことが出来ました。
その2人とは今でも頻繁に連絡を取り合っており、戦友的な存在として信頼し合える関係を続けさせて頂いております。
BWHはMassachusetts General Hospital (MGH) 及びBeth Israel Deaconess Medical Center (BIDMC) とともにハーバード大学医学部のMajor Affililateの一角を担う総合病院でありますが、昔より特に循環器領域を中心に据えているのが特徴であり、Lownの分類で知られるBrernard Lown先生は世界で最初にCCUを開設しました。
現在のBWHのChairmanはCirculation誌の編集長であるJoseph Loscalzo先生が務めておりますが、ブラウンワルド心臓病学で著名なEugene Braunwald先生も院内で今尚TIMI Groupを主催して活躍を続けており、とても驚かされます。
BWH本院はボストン市のダウンタウンから全米一古い地下鉄で10分程度の西方に位置し、周りには多くの病院や研究施設が並んでおりBoston Medical Areaと呼ばれています。
我々のラボはBWH本院と異なる場所に位置しており、ラボがあるPartners Research Building(PRB)は、東西走のチャールズ川を挟んだ北側のケンブリッジ市内MITのすぐ裏側にあり、ベンチャー企業などの新しいビルに囲まれております。
最近話題になった武田製薬によって買収されたベンチャー企業ミレニアム2000は我々のラボの真正面にあり、仕事で交流することも時にありました。
暖かい日など、仕事帰りにハーバードブリッジを歩いてボストン市に渡る際にはNew Yorkの夜景とはまた異なったなめらかな街の光を放つボストンの夜景を眺めることもでき、ボストン近辺では最も美しい景色であるチャールズ川沿いの風景を楽しみながら歩いて帰るポスドクも少なくありません。
しかしながらその冬は長く厳しいために、幅広いチャールズ川が数ヶ月に渡って凍結する風景は最初の頃こそ綺麗だと感じますが、時間と共に気分も重たくなってくるのが実状です。
それでもボストンマラソンが開催される4月の終わり頃から10月の頭まではデイライトセービングタイム(いわゆるサマータイム)で日が長いこともあり、ボストンの人々同様にポスドク達も惜しむように旅行やレジャーなど短い春夏秋を楽しんでいます。
研究生活
米国のラボはメンバーの出入りが頻繁であり、我々のラボも私が居る間にPIを除くほぼ全員のポスドクメンバーが交代しました。
2008年のメンバーでは、Liao先生の他、Assistant Professor 1名(米国)、ポスドク13名(日本3名、中国4名、台湾2名、韓国2名、ドイツ2名)で構成されており、週一回のラボミーティングとジャーナルクラブでは活発なdiscussionが繰り広げられるなど、忙しくも充実した毎日を過ごしておりました。
Liao先生はVascular MedicineのDirectorも兼任しているため非常に多忙ですが、時間を見つけては頻繁に我々のベンチまで足を運び何かと気さくに話しかけてくれるため、自分達のプロジェクトのみならずプライベートな相談にまでのってもらいました。
我々のラボでは主にStatin、eNOS、Rho GTPase、Rho-kinase、Steroid hormoneなどの主に血管における作用機序、役割などを研究しております。
元々はシグナルのin vitro研究が中心でしたが現在は遺伝子改変動物を用いたシグナル解析を中心とした研究、そしてHuman Sampleを用いた臨床研究も精力的に行っております。
またLiao先生がM.D.であるためか、5~15年後に何らかの形で臨床還元するつもりで研究をするようにと常日頃より言われており、実際に研究を始めた当時は誰も耳を貸さなかったStatinのpleiotropic effectsは現在では極当たり前のこととして扱われております。
Liao先生の方針として、同僚とは研究内容が重ならないような配慮もなされており、皆で助け合いながら研究を行えるのはある意味では結果のみを求められる立場のポスドクからすれば、とても喜ばしいことに感じられました。
またボストン周辺には同研究領域のラボも非常に多いために共同研究も少なからず行っておりましたが、気楽に参加できる小さな研究会なども頻繁に催されるなど、その恵まれた環境にはとても驚かされます。
気付かされたこと
周囲の仲間達の研究に対する幅広い見解や取り組み方などを目の当たりにすることによって、自分の研究プロジェクトの欠点のみならず医療に対する自分自身の姿勢に足りない点など多くのことを学ぶことができました。
しかしながら多国籍出身の人々との生活を通じまして研究以外でも驚かされることや気付かされることが非常に多く、また適応の一部として視野の拡がりや許容を強く求められます。
そのために自分自身の長所のみならず認めざるを得ない新たなる短所と直面することは非常に辛いことでもありますと同時に、とても新鮮で刺激的なことでもあります。
振り返ってみれば多くの人達に助けられ、支えられての留学生活開始となった訳でありますが、研究生活のみならず生活自体においても周囲の仲間たちの思いやりにいつも救われてのボストン生活でありました。
特に次男・玄信がボストンにて誕生した際には途中で中止ができない動物実験やデスクワークなどは、Liao先生を含め他のポスドク仲間が当然のことのように代わってしてくれましたこと、生涯忘れないだろう程に心に染み入りました。
また、友人家族には何度となく幼稚園に通っていた長男・靖弘の面倒もみてもらい、日本以外で出産することに非常に不安であった妻の傍に少しでも長く居ることも出来ました。
本当に周囲の仲間たちに支えられることで成り立っていた留学生活であったと強く感じますと共に、臨床のみならず研究生活も人との係わり合いによって出来ていることを強く再確認致しました。
相互に思いやることの大切さ、そしてその喜びに気付かせて下さった皆様には言葉で現せない程に感謝していますと同時に、また私自身がわずかばかりでも誰かの力になることが出来ればと願っております。
おわりに
最後になりましたがこのような留学の機会を与えて下さり、また帰学後も私を受け入れて下さりました広島大学大学院心臓血管生理医学・吉栖 正生教授、東 幸仁准教授、病態制御内科学・茶山 一彰教授、ならびに留学後の私に循環器内科医としての活躍の場を与えて下さりました循環器内科学・木原 康樹教授には本当に深謝致しております。
また教室内外の多くの先生方、及び新しく船出致しました広島大学循環器内科学教室が今後益々ご発展されますよう心より祈念致しております。