スタンフォード大学での留学を終えて(北川知郎)
はじめに
米国カリフォルニア州スタンフォード大学医学部循環器科での2年10か月に及ぶ研究留学を終え、2012年1月に広島に戻ってまいりました。
拙稿ではありますが、米国での生活や研究内容、現地で得られた経験等をご報告させていただくとともに、本稿が些細でも今後留学をされる先生方などのご参考になれば幸いでございます。
留学生活
スタンフォード大学や周辺地域については以前の留学記でもご紹介させていただきましたが、気候と治安の良さは全米屈指だと思います。
温暖な気候は屋外でのレジャーに適しており、普段は出不精の私ですら、ほとんど雨の降らない5月から11月の週末にはよく家族と出掛けておりました。
カリフォルニアワインで有名なナパワイナリーでのピクニックや、オークランド、サンフランシスコでのメジャーリーグ観戦、壮大な景観で名高いカリフォルニア・ヨセミテ国立公園での休日も良き思い出となりました。
米国国立公園の大自然は私が留学中に最も魅せられたものであり、長期休暇にはいワイオミング州のイエローストーン国立公園、さらに日本でも名高いグランドキャニオン渓谷にも足を運びました。日本にはない雄大さにはただただ感嘆するばかりで、アメリカに来てよかった・・・・と思える瞬間でした。
- グランドキャニオン渓谷での1枚
日常生活では言葉の壁による失敗談は多々あるのですが、私たちと同様に留学してこられていた日本人ご家族や米国人の親切なご近所にも恵まれ、致命的な失敗はせずに済みました。
ただ当然ながら日本のように融通が利かないことはしばしば経験し、特に記憶に残っているのは、米国で獲得できたfellowship grantの支給がなかなか開始されず、何度も大学のbusiness managerに掛け合っても進展なく、しまいには米国の銀行口座の残額が底を尽きかけたことです。
結局は大学側の事務作業が遅れていただけだったのですが、我が家にとっては生活の懸かった最重要事項であり、家賃も払えなくなるかもしれない・・・・と相当に気をもみました。
日本では考えられないずさんさに呆れるしかなかったのですが、適当で大雑把なアメリカ社会の一端を見た気分でした。
ラボと研究
留学先のMcConnellラボは分子イメージングを用いた血管病イメージングを主たるテーマとしており、具体的にはマウスの動脈硬化、大動脈瘤モデルを用いて様々なcontrast agentやimaging modalityを試みる研究を柱としておりました。
それまで日本でやっていた臨床研究とは全く異なる仕事内容でしたので、留学後しばらくは実験の流れも手技内容も理解できませんでした。
最初から私のための仕事やprojectが用意されていたわけでもなく、覚悟していた状況とはいえ、いわゆる‘居ても居なくても構わない’見習いのような立場が続くことに、正直戸惑いを感じる日々でした。
同僚やcollaboratorの助けを借り、ようやく具体的な研究になってきた感覚を持てたのが渡米1年後くらいで、少しずつ研究、解析を進めていくうえでの‘戦略’に知恵を絞れるようになりました。
自分で実験を進め、少しでも予想に沿った結果となった時の喜びは格別で、それまでに味わったことのない感覚でした。
ただ、研究目的で留学してきたポスドクには、研究成果に対するプレッシャーが付きまとうのも事実だと思います。何かしらの結果を導き出し、それを自国に持ち帰って発展させていく・・・・。
留学する誰もが考える理想かもしれませんが、これがなかなかに大変なことであることは想像に難くないでしょう。
私が所属していたラボはCardiovascular medicineの中でも小さいグループであったこともあり、全ての面において研究環境が整っているわけではありませんでした。
マウスの手術は同じ場所を他のラボと共有しなければなりませんでしたし、細胞培養は他のラボの場所を借りて行う必要がありました。
これが何かと不便で気を使ったのですが、私と同様に留学して来られていた先輩ポスドクの先生方を拝見していても、それぞれが何かしらの‘逆境’を感じておられるようでした。
渡米前は、‘海外留学は自由な環境でのびのびと研究できる機会なのだ’という根拠のない先入観を持っていた私ですが、プレッシャーと逆境に向き合う試練の時期でもあることを、留学後に知りました。
米国が日本以上に自由競争をベースとした社会であることを考えれば当然のことと言えるかも知れませんが、おそらくこの経験こそが貴重であり、後に振り返ったときに自分の財産となっているのかもしれません。
経験談
経験談の一つとして、留学中に患者として体験したアメリカ医療の現実をご紹介したいと思います。
渡米して1年程経ったとある日曜日、朝から下腹部痛を自覚し始め、夕方になって増悪し、痛みの部位や圧痛の存在から自身で虫垂炎を疑いました。
我慢するのも良くないと考え、やむなく夜の7時に近くのEmergency roomを受診しました。血液検査と腹部エコーでは診断がつかず、腹部の造影CTを受けてようやくDiverticulitis(憩室炎)という診断がつきました。
医師やスタッフの方は親切だったのですが、とにかく待ち時間が長く、CT撮像後などはRadiologistの読影を待っているとの理由で約3時間待たされ、結局帰宅したのは翌日深夜の2時でした。
日本でも時間外診療の待ち時間が長いことがしばしば取り沙汰されますが、そんな比ではありません。
丁寧なのか、ただ処理が遅いだけなのか・・・。
治療は薬物療法でいいとのことで、処方された抗生剤の内服で症状は軽快しました。
しかし、驚いたのはその後です。受診後2週間ほどでphysician serviceに対する請求書が届き、エコーやCT検査、その読影費用として約1400ドル(約13万円)と記されていました。
やっぱり高いなあと思っていると、その後hospital serviceなるものへの請求書が届き、その費用が何と16300ドル(約150万円)! 目が点になりました。
いったい、あの長い待ち時間の間にどれほどのサービスを受けたのかと半ばあきれながら、加入している保険会社に対応について問い合わせました。
幸い、私が加入していた海外旅行保険で全額カバーされるとのことでしたが、聞くところによると、米国のベッド100床に対する医師数、看護師数は日本の約5倍だそうです。
職員数格差がこれだけあると日本より手厚いサービスが可能となる一方、人件費は高くなり、病院によっては施設使用料という形での医療費が相当高額になるとのことです。
逆に、日本の大学病院などには研修医や無給医局員という若い医師たちが多数存在し、薄給もしくは無給で職員数不足を補っているという現実があり(最近はやや異なりますが)、これが医療費高騰を抑制しているのかもしれません。
日米の医療サービスシステムの差異について考えさせられた経験でした。
最後に
私も妻も、留学前には英語にもアメリカ社会にもほとんど馴染みのない、全くの'初心者'だったのですが、『日本ではなかなかできないような、他の人と異なる仕事に取り組みたい。』という、実に単純な動機づけが海外留学を志すきっかけでした。
異国での予期せぬ逆境にへこみそうになることは1度や2度ではありませんでしたが、『自分で決めてここへ来たのだ。』という覚悟と、再三私の愚痴を受け止めてくれた妻、無邪気な笑顔で背中を押してくれた息子の存在があったからこそ継続できた留学生活だったと思います。
また、留学したいという私の勝手な要望を当初より応援していただき、留学中もたびたびメールにて激励いただき、さらにこのたびの帰国にあたっても一方ならぬご配慮をいただいた木原康樹教授、山本秀也先生に心から感謝申し上げます。
また、帰国後の受け入れを了承いただいた救急医学の谷川攻一教授に厚く御礼申し上げます。
留学で得た経験を世界に向けた広島発の情報発信に繋げていけるよう、今後も精進を続けていきたいと思います。